かつてギロチンが猛威をふるったコンコルド広場
ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された場所として有名なコンコルド広場。
世界一華やかな通りとして知られるシャンゼリゼ通りの主発地点ということもあり、パリの人気の観光スポットの一つでもあります。
今回はそんなコンコルド広場の情報と実際に訪れたときの様子をお届けします。
元々はただの広場だった…コンコルド広場の歴史
まずコンコルド広場の見どころというか、知っておくと面白いことの一つに、その名前の遍歴があります。
この変わりっぷりを見ていくと、フランス国民、パリ市民にとってこの広場がいかに印象的な広場であったか、そして支配層がいかにしてこの広場を利用してきたかがよくわかります。
コンコルド広場の名前遍歴はこんな感じです。
ルイ15世広場
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革命広場
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コンコルド広場
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ルイ15世広場
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ルイ16世広場
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コンコルド広場
完成からわずか75年の間、名前を変えた回数は5回!
元々は1755年、ルイ15世の時代にごくごく普通の広場として作られました。
その頃はそのまま「ルイ15世広場」と呼ばれていましたが、1789年に起きたフランス革命の影響により、広場の象徴とされていたルイ15世の騎馬像が撤去されると、広場の名前は「革命広場」に改められます。
ここから広場は処刑場として使われるようになり、ルイ16世やマリー・アントワネットを含む、総勢1200以上の人がここで処刑されることになりました。
その後、1975年に調和を意味する「コンコルド」という言葉が広場の名前につけられましたが、1814年にブルボン王朝が復活するとコンコルド広場は再び「ルイ15世広場」という名前に戻り、1826年には「ルイ16世広場」という名前に変わりました。
しかし1830年に王朝が倒されたことで再びコンコルド広場という名前にかわり、これが現在まで続いています。
革命が起きれば「革命」がそのまま広場の名前になり、共和制の時代には調和を意味する「コンコルド」という言葉が使われ、王家が復活すれば王の名前になり、王家が倒れるとまた調和に戻る…
時代が変化するたびに広場の名前も変わっていくという、コンコルド広場は代々、民衆にとって生活の中心ともいえる、非常に印象的な広場だったということが想像できますね。
コンコルド広場の見どころ
前置きが長くなりましたが、ここからは現在のコンコルド広場の様子をお届けします。
コンコルド広場の象徴、オベリスク
まずコンコルド広場に入ると目に飛び込んでくるのが、中心に立つ大きな塔。
オベリスクと呼ばれるこの塔は、もともとエジプトのルクソール神殿に置かれていたもので、1836年にエジプト国王からこの地に贈られました。
ちなみに現在もエジプトのルクソール神殿には、これの対になっているオベリスクが置かれています。
これがルクソールに残された片割れ。本場のオベリスクはロマンすぎました…。
これについてはまた別の記事でご紹介します。
気になるのが、コンコルド広場の方のオベリスクだけ、頂上のとんがり部分が金色なんですよね。
実はこれ、紀元前6世紀ごろに先っちょだけ盗まれてしまったらしく、1998年にフランス政府が後からつけたものらしいです。
エジプトさん、わざとボロい方をプレゼントしたのかな…。
高さは23mもあり、さすがに真下にくると見上げるのが大変です。
根元部分には、おそらくルクソール神殿から運び出した時の様子が描かれていました。
機械が発達していない時代のこういう技術ってなんだかワクワクしますね。
地面に埋め込まれたプレート
広場の地面にはこんなプレートが埋め込まれていました。
フランス語全くわからないので、Google先生に丸投げしてみると…
「元々はルイ15世の広場だったけど、途中から公開処刑のメイン広場になったよ。ここでルイ16世もマリー・アントワネットも亡くなったよ」的な。
うん、特に目新しいことは書かれてないみたいですね。
2つの優雅な噴水
コンコルド広場はオベリスクだけじゃなく、2つの豪華な噴水も見所のひとつです。
南側には地中海と大西洋を表現した噴水が、北側にはライン川とローヌ川を表現した噴水が置かれています。
どちらも存在感がハンパなく、コンコルド広場の写真スポットにもなっています。
ウェディングのロケーションとしても人気
噴水に見とれていたら突然、複数の車が広場の脇に止まり、中からドレスを身にまとった女性が登場。
遅れて花婿さんも登場し、あっという間に人だかりができていました。
1200人以上も殺された処刑場の跡地で結婚式だなんて…と思ってましたが、コンコルド広場はウェディングフォトのスポットとして世界中で有名らしいですね。
広場のすぐ脇にはフランスの最高級ホテル「オテル・ドゥ・クリヨン」もあります。
コンコルド広場で写真をとった後は、ここでウェディングパーティーですかね?
さすがはフランス。レベルが違う。
コンコルド広場から凱旋門を眺める
個人的には、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを一直線に眺めるこの景色がダントツで印象に残っています。
広大な道路と綺麗な並木、そして正面に立つ巨大な凱旋門は圧巻の一言です。
おとなりのチュイルリー公園もおすすめ
コンコルド広場に隣接するこちらのおしゃれな門をくぐるとそこは、伝統的なフランス式庭園が広がるチュイルリー公園。
チュイルリー公園はパリ最古の庭園とされていて、中には美術館があったり散歩道があったり池があったりと、せわしくなりがちな旅行中に一息つくにはもってこいの場所です。
700mほど続く公園をまっすぐ歩いていくと、あの有名なルーブル美術館にたどり着くので、観光ルートに組み込んでおいて損はないですね。
コンコルド広場観光がより面白くなる処刑人のお話
コンコルド広場で処刑された中でもっとも有名な人物ともいえるルイ16世。
このルイ16世の処刑を執行したシャルル=アンリ・サンソンという人のお話が非常に面白いです。
「死刑執行人」って、野蛮とか、冷酷とか、無慈悲とか、まああまりよろしくないイメージを抱きがちかと思いますが、シャルル=アンリ・サンソンはそのイメージの真逆をいく人物。
常に礼儀正しく、教養もあり、副業で医者をやっていたりしていて、貧しい人からは一切お金を取らない。
人を殺すことには嫌悪感を抱いており、ずっと死刑制度の廃止を願っていたらしいです。
結局、生涯にわたって世界史上2番目に多くの死刑を執行することになりますが、ルイ16世を処刑するときも、ギロチンを落とす寸前まで奇跡の救出劇が起きることを祈っていたほど心優しい常識人なんですよね。
こういった処刑人の苦悩を思い浮かべながらコンコルド広場を眺めるのも、また違った情緒を感じられて面白いです。
コンコルド広場でパリの歴史を感じよう
「パリのセーヌ河岸」のひとつとして世界遺産にも登録されているコンコルド広場は、パリにある広場の中で一番大きく、名実ともにNo.1の広場となっています。
今は普通の憩いの広場になっていますが、フランスの歴史をみる上では欠かせない場所でもあります。
もちろん入場料などはないので、パリに訪れた際は気軽に行ってみてください。
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